概要

会社名 ジャンボフェリー株式会社
Jumbo Ferry Co.,Ltd.
代表者 山神正義
事業所
神戸本社
650-0041 兵庫県神戸市中央区新港町3番7号
高松本社
760-0065 うどん県高松市朝日町5丁目12番1号

沿革

明治10年 (1877) 西南戦争による海運特需が発生。代々米問屋を営んでいた加藤彌太郎が旧高松藩が所有していた日興丸、幸好丸という2隻の船を船頭家(田渕家)ごと譲り受け、大阪~香川間の貨物輸送を開始。当時の本店は高松市東浜。屋号は「かどや」
明治17年 (1884) 住友財閥が中心となり、大阪地区の群小船社を統合して大阪商船(現在の商船三井)を設立。この結果、大阪~香川間の貨物輸送は大阪資本の大阪商船と地元資本の加藤の二つに大きく集約されることとなった。
大正3年 (1914) 合名会社加藤海運商会に改組。兵庫支店を設置。以後、貨物輸送の活動範囲を瀬戸内一円へと徐々に拡大加藤海運商会
昭和3年 (1928) 4月、三代目社長であった加藤常太郎が、第3千代丸、第7千代丸、第8千代丸の3隻の貨客船で大阪(木津川町三丁目)~神戸(兵庫区島上町)~草壁~土庄~高松~坂出~丸亀~観音寺航路の旅客輸送を開始。この3隻は旅客の安心を得るためあえて木船で建造。本社を神戸に移転
昭和8年 (1932) 鋼船で建造されたちとせ丸、やちよ丸の2隻の貨客船を同航路に投入。当時、大阪商船の大阪~高松間が片道2円70銭であったのに対して片道98銭として旅客の好評を得る。「金持ちは商船、庶民は加藤」という評判が定着
昭和12年 (1937) 6月、加藤海運株式会社に改組
7月、盧溝橋事件が発生し日中全面戦争へ突入。9月、臨時船舶管理法の制定。海運に関しては翌年4月制定の国家総動員法に先行して戦時統制が始まる。加藤海運島上本社ビル
昭和13年 (1938) 4月、国家総動員法の制定
昭和15年 (1940) 2月、国家総動員法に基づく海運統制令が施行。中小船会社の戦時合同や船舶の徴用が開始される。
昭和16年 (1941) 8月、船舶・船員・造船の国家管理に関する戦時海運管理要綱を閣議決定。12月、日米開戦
昭和17年 (1942) 3月、戦時海運管理令が制定。船舶の国家管理,船員の徴用・管理,国家使用船舶の一元的運営のための船舶運営会の設置などが規定され、国内の船会社は全て船舶運営会(同年9月設立)の統制下となることとされた。また、国家使用の対象船舶が100トン以上の汽船、150トン以上の機帆船とされた。この対象範囲はその後昭和18年10月から50トン以上の機帆船にまで広げられ,さらに昭和19年9月15トン以上の汽船・機帆船・帆船にまで広げられていった。
これにより、加藤海運は所属する船員や所有船舶が全て徴用され、戦災によりその多くが犠牲となった。
5月、戦時合同により、大阪商船の内航部門を中核として関西の中小船社を集約した関西汽船が設立。同社が笠岡と多度津を結ぶ線から以東の旅客輸送を独占的に担い、以西は昭和15年に戦時合同で設立されていた広島県汽船(現在の瀬戸内海汽船)が担うこととされた。
昭和20年 (1945) 8月、終戦
12月、国家総動員法は廃止されたが、海運業界においては、GHQの意向により戦時海運管理令の効力は存続することとなり、船舶運営会による統制が継続
昭和24年 (1949) 8月、新たな海上運送法が施行。内航海運の戦時統制が解除され、徴用された船舶の返還が始まる。加藤海運は貨客船やちよ丸(286総トン、旅客定員196名)の返還を受け、10月26日、大阪(木津川町三丁目)~神戸(兵庫区島上町)~草壁・土庄~高松~坂出~丸亀~観音寺の航路を再開。再開5年後の昭和29年の輸送実績は、貨客船やちよ丸、葵丸(391総トン、旅客定員227名)及び恵運丸(332総トン)の3隻運航で旅客約7万4千人、貨物14万6千トン
昭和32年 (1957) 3月、大阪~香川航路に貨客船ちとせ丸(510総トン)を同航路に投入ちとせ丸
昭和35年 (1960) 大阪~香川航路に純客船はぴねす(725総トン)を投入はぴねす
昭和36年 (1961) 宇高国道フェリーが宇野~高松のフェリー航路を開設。同航路は国道30号にも指定され、24時間運航で1日約100便という花形航路に成長。高松のりばから南に延びる「フェリー通り」の由来は、新設した航路の宣伝のため、常太郎が道路沿いにフェリー通りと書いた街灯を設置したのが始まり
昭和38年 (1963) 大阪~香川航路に純客船ぐれいす(1,056総トン)を投入。はぴねす同様にスチュワーデスが乗船し、ウエイター付きレストラン、サウナ付きお風呂、スカイルームなどが設けられた豪華仕様。また国道11号線の全線整備を受け、同船の投入と同時に高松以西の運航を取止めて大阪~神戸~草壁・土庄~高松の運航とした。同航路は、料金を関西汽船より210円安い420円として人気を博し、平日昼夜2便、土日祝日はちとせ丸を加えて1日3便の運航体制で、輸送人員は35万人を超えるまでに成長ぐれいす
昭和39年 (1964) 9月21日、東京オリンピックの聖火リレーにおいて、宇高国道フェリーこんぴら丸が高松から宇野までの聖火輸送を担当1964年9月21日宇高国道フェリーこんぴら丸が高松から宇野まで聖火輸送
昭和42年 (1967) 瀬戸内海放送が岡山・香川エリアのテレビ放送を開始。地方都市における多チャンネル化に先鞭をつけた。瀬戸内海放送
昭和44年 (1969) 11月、加藤汽船と関西汽船との共同運航により、阪神―高松(朝日町)間のカーフェリー航路「ジャンボフェリー」を開設。こんぴら(2,834総トン、旅客定員859名)就航。航路名は、同船が双胴船として世界最大であったことに由来初代こんぴら
昭和45年 (1970) ジャンボフェリー航路にりつりん就航。関西汽船の六甲丸、生駒丸と合わせて4隻で1日10便体制
昭和46年 (1971) 7月、神戸市東灘区青木に東神戸フェリーセンター完成。神戸港のフェリー発着場所の集約化が図られた。
昭和62年 (1987) 加藤汽船と関西汽船の共同運航により、大阪天保山-神戸ー小豆島ー高松間で、ジェットフォイル2隻(329総トン、旅客定員281名)を使った航路「ジェットライン」を開設。西日本では初めてのジェットフォイル航路で、佐渡汽船に次いで日本で二番目。船名はジェット8とジェット7で西暦の末尾2桁に由来。巡航速力45ノット(時速80km)で大阪~高松間を1時間59分で結んだ。軍用レベルの暗視装置を備えることでふくそう海域での夜間航海を世界で初めて実現。就航率は98%前後を誇り、ジェットフォイル航路の中で世界一として、当時の運航管理者が米国ボーイング本社に招かれて表彰を受けた。ジェット7
平成元年 (1989) ジャンボフェリーのこんぴら代替船として、こんぴら2(3,639総トン、旅客定員475名)就航。引き波が少なく、揺れも少ない船尾双胴型を採用。また、大型トレーラーによる無人航送にも対応できるよう車両甲板を全面ピラーレスとし、煙突を左舷に張り出して車両甲板の有効幅を確保するなど、建造当初から将来を見据えて、架橋時代に生き残れる備えを施していた。
平成2年 (1990) ジャンボフェリーのりつりん代替船として、りつりん2(こんぴら2同型船)就航りつりん2
平成7年 (1995) 1月17日、阪神淡路大震災が発生。青木のフェリー岸壁と中央区の加藤汽船本社ビルが被災。ジャンボフェリーは、ライフラインが途絶した青木地区において、被災された方々に船内浴室を開放する「お風呂シップ」として活躍し、運輸大臣から表彰を受ける。国土交通大臣表彰
平成10年 (1998) 4月、明石海峡大橋の開通に伴い、関西汽船がジャンボフェリーから撤退。加藤汽船の2隻による1日5便の運航体制となる。
平成11年 (1999) 3月、ジャンボフェリー神戸のりばを、青木から新港第3突堤に変更。ジャンボフェリーのホームページ開設
平成13年 (2001) 4月、ジャンボフェリーの特等席を廃止し、レディースルーム、チャイルドルームを設置。
5月 ジャンボフェリーが予備船の神戸丸を使用して1日5便→6便に増便(~翌年2月)するとともに、乗用車の料金区分を「長さ(m)」から「車種(普通、軽)」に転換。フェリー業界として日本初の試み
平成14年 (2002) 8月5日、高松エクスプレス(株)が関西汽船と共同で高松駅~大阪なんば間の高速バス「フットバス」の運行を開始たかなんフットバス
平成15年 (2003) 10月、ジャンボフェリー(株)設立し、加藤汽船(株)より航路事業の譲渡を受ける。
平成16年 (2004) 3月13日、フットバス片道とジャンボフェリー片道をセットにしたフェリー&バスセット券の発売開始
平成17年 (2005) 7月17日、フットバス神戸線が運行開始。これにあわせてフットバス神戸線とジャンボフェリーとの共通利用券の発売を開始。フェリーと高速バスとの共通券としては日本初
平成18年 (2006) 4月、神戸MKと共同で、関西空港行きの乗合タクシーとジャンボフェリーとの連絡きっぷの発売開始
9月、第一回讃岐うどんスタンプラリー(まんどぐるま・枡うどん・さぬき麺業・山神うどん)を実施
11月28日、ジャンボフェリーが世界初のETC乗船システム(ETC車載器を利用したフェリー料金の自動決済サービス)を導入
平成19年 (2007) 2月、平成レンタカーと共同で、ジャンボフェリー高松のりばでのレンタカー受渡サービス「うどんナビ付レンタカーセット」の発売開始
6月、香川県内での深刻な水不足を受け、ジャンボフェリーの船内タンクを活用した水の緊急輸送実験(神戸港から高松市内の幼稚園プールに水を運び込み、園児に水遊びを提供)を実施。7月、七夕記念として遠距離恋愛カップルを対象にした無料乗船を開始(~平成24年まで毎年実施)
8月、国道フェリーとジャンボフェリーの共同で乗用車でフェリーに乗船する方を対象に「フェリーでエコ・マイレージ」(陸路の自走と比較した場合におけるフェリー利用によるCO2削減量を実感していただくため、CO2削減量に応じたマイレージ・ポイントを発行する日本初の取組み)を実施
8月20日、高速料金の大幅割引(深夜3割引など)の社会実験が始まる。
12月、荷主・物流会社との協業による大型トレーラーを活用した無人航送の取り組みに対して、国土交通大臣から、交通関係環境保全優良事業者等大臣表彰を受ける。
平成20年 (2008) 2月、ジャンボフェリーと宇高国道フェリーの共同企画によりエッセイ「800字フェリーの旅」を4回にわたりテーマを決めて募集(2月・胸キュン編、4月・別れと出会い編、6月ワクワク ドキドキ編、8月アツい話編)
4月、宇高国道フェリーの航路運営を国道フェリー(株)に移管。これにあわせて1日50便から37便に減便し、高松・宇野のりばにコンビニエンスストアを整備
4月、志度港の整備を受け、志度~高松間において、輸出用大型クレーン車のバージ輸送開始
7月、宇高国道フェリーで納涼船実施(7/19~8/2)
9月、ジャンボフェリーで減速運航と毎週2往復休航を開始
10月14日、高速料金の割引幅が拡大(土休日5割引・深夜5割引など)
10月、宇高国道フェリーのたかまつ丸でマンガ喫茶ルーム開設
平成21年 (2009) 1月、夜行便限定でシングル個室の販売開始
3月、高速道路の土休日1000円が始まる(~平成23年6月まで継続、同年6月からは5割引)。
5月~9月、宇高国道フェリーが1日37便→34便→31便に段階的に減便
7月1日、ジャンボフェリーが1日5便から4便に減便
9月、民主党政権開始
11月、ジャンボフェリー船内でDVD及びDVDプレイヤーの貸出サービスを開始
11月、スカイマークエアラインとジャンボフェリーの共同で、フライ&クルーズキャンペーン(スカイマークの搭乗券半券でフェリー無料乗船)を実施
12月、宇高航路で国道フェリーと四国フェリーが同時に減便し、両社で1日44便(国道フェリーは1日31便→22便)
平成22年 (2010) 1月15日、四国運輸局が高速道路の大幅割引によるフェリーへの影響調査を発表(この時期、瀬戸内海で8航路が休廃止に追い込まれていた)
2月12日 国道フェリー・四国フェリーが3月26日で宇高航路を廃止する旨の届出を四国運輸局に提出(後日、国等の要請を受け当面継続を発表)
7月、ジャンボフェリーのレディースルーム内に女性専用シャワールーム設置
7月、第二回讃岐うどんスタンプラリー(おか泉・山神うどん・なかむら・山越うどん・中西うどん・わら家)実施
平成23年 (2011) 3月11日、東日本大震災が発生。石巻市に社員を派遣しグループ会社の大型バスで支援物資(3600食分)を届ける。
7月6日、小豆島の自治体などの強い要望を受け、ジャンボフェリーが小豆島(坂手)-神戸航路を開設。阪神淡路大震災の影響により関西汽船が小豆島航路を廃止して以来16年ぶりの復活となる。就航記念として、ふねタダのりのり祭り(島内に宿泊者を対象に乗用車のフェリー代が片道無料)を開催
7月、ウイラー・トラベルが、東京~ジャンボフェリー神戸のりば間を結ぶ高速ツアーバスの運行を開始。バスとフェリーを乗り継ぐことで、東京を深夜出発して翌日の朝の小豆島到着を実現
7月、大川バスが、ジャンボフェリー高松のりば〜高松空港を結ぶ高松空港シャトル・そらバスの運行を開始
10月、小豆島町が、神戸~小豆島航路の経済効果について、3ヵ月で直接効果3億円、波及効果5億円との調査結果を発表
10月、フットバスとの共同で、瀬戸内クルーズ・バスセットの発売開始
平成24年 (2012) 10月、国道フェリーが宇野~高松航路の運航を休止
12月、民主党政権終了
平成25年 (2013) 高松-小豆島航路を設定
平成26年 (2014) 9月、ジャンボフェリー神戸のりばに、神戸三宮フェリーターミナルが完成
令和元年 (2019) ジャンボフェリー50周年を記念し、記念ペイント・フェリー「ニャンコフェリー」を運航

お気軽にお問い合わせください。お問い合わせ